こんにちは、world is aozoraです。
突然ですが、青空文庫には、3つの狂人日記が収録されています。
2つ目は、さらにその次の記事で言及したゴーゴリの『狂人日記』。
本日はこちらの小説を紹介しようと思います。
・・・ここ最近、狂人に関する小説ばかり取り上げているので、「こいつ、狂人マニアなんだな」と思われてしまうのではないかと、一抹の不安は感じました。
しかし、モーパッサンのこの作品を紹介したくて、キーボードを叩く手がウズウズしてくるのもまた事実。
作品を好きと思うこの気持ちは、誰にも止められないっ!
というわけで、私はここに「狂人マニア」の称号を受け入れることを決意します。
( -`ω-)✧ドヤッ
作品URLはこちら↓
作品の基本情報
タイトル:
狂人日記(読み方:きょうじんにっき)
作者の出身地:
フランス
読了目安時間:
20 〜 30分
文章の読みやすさ:★★★★★
現代の人が書いたんかなってぐらい、違和感なくスラスラ読める文章です。
日記形式で細かく区切られているのも、読みやすく感じるポイントですね。
ただし、じゃっかんの残酷表現があるので、苦手な方はご注意ください。
あらすじ
82歳という生涯を、非の打ちどころのない模範的な裁判官として歩んできた高等法院長。罪人に対しては常に公正な裁きを下し、人々の尊敬を集めてきた人物だった。
しかし、彼が静かに息を引き取った後、彼の机の奥底から一冊の文書が発見される。その文書には、誰も知らなかった衝撃の独白が記されていた!
【結末まで知りたい方向け】 あらすじ続き
ある日、裁判官はこんな疑問を書き記す。
「どうして人は、人を殺すのだろう」
5人の子供を殺害した犯人を、死刑にした日のことだった。
その殺人犯のように、殺すことを快楽に感じる人間は他にも存在する。
殺すということは、なぜ、人の心を酔わせるのだろう。
このように、彼の文書は、生命を殺すことへの疑問から始まった。しかし日付けが進むにつれて、彼の疑問の矛先は変わっていく。
人間は生きるために屠殺し、快楽のために狩猟する。
それなのになぜ、人を殺すことが罪になるのだろう?
考えれば考えるほど、彼には「殺し」を罪と定める意味が、分からなくなっていく。
そしてついに、彼は思い立った。
生き、考えるものを、殺して、前に置き、それに小さな穴を、ただ小さな穴のみをうがち、生命をつくりあげている血が流れるのを眺め、それが柔かな、冷たい、動かない、考えることもしない一塊りの肉にほかならないと思うのは、必ずや不思議な、心地よい快楽であろう。
そう思ったが最後、欲望に歯止めが効かなくなった。
彼は手始めに、使用人の飼っている小鳥を殺した。しかし小鳥は体が小さい。血もほんの少ししか流れない。
次に彼は、人間の子供を殺した。喉を締め上げたときの、今まで経験のない感覚。彼は残忍な感動を味わった。しかし殺害方法に絞殺を選んでしまったせいで、今度も血を見ることができない。
そこで今度は、釣人を背後から鋤で殴り殺した。ようやく流れた薔薇色の血は、緩やかに川に溶け込んだ。
後日、釣人殺しの容疑者としてあげられたのは、一緒に釣に来ていた被害者の甥だった。甥は殺された叔父の相続人となるはずであり、殺害動機は十分と判断された。
この裁判を担当したのは、釣人を殺害した当の本人。
彼は甥を死刑にした。そして断頭台で、彼の首が落とされるのを見た。
流れる血の美しさに、彼はいたく感動した。
感想
詳しいストーリーは小説本編を読んでいただくとして、ここからは私が気に入っている点(推しポイント)をいくつかピックアップしていきます。
盛大にネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。
(なんなら、本編を読んでいただいてからの方が、楽しめる内容かもしれません)
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推しポイント1:高等法院長だからこそ織り成せる、濃密な狂気
はぁ〜〜惚れ惚れするほどの狂人っぷりでしたね、高等法院長様!
彼がただ殺人に快楽を感じるだけの一般人ではなく、皆から尊敬を集めている裁判官だったことが、物語全体に充満する狂気じみた雰囲気に拍車をかけていると感じました。
清廉潔白な裁判官としてその名が知れ渡っているからこそ、殺人事件が起こったときに彼を疑う者はいない。それを分かっていて、彼は白昼堂々、森で遊んでいた子供や、川にいた釣人を殺しました。
自分の築いてきたイメージを利用したのです。
しかもその事件の容疑者として上がった人物を、(裁判長という立場を利用して)死刑にすることで、1つの事件で2度美味しい状況まで作ってしまいました。
魯迅やゴーゴリの描いた「狂人」に比べて、かなり狡猾な知能犯のようです。
しかもこの裁判長、容疑者の処刑を見に行ったときの回想を、再犯を仄めかすような文言で締めくくっています。このあとも「殺害 → 冤罪死刑」の最恐確殺コンボを何回もキメている気がしてなりません。
リアルにこんな輩がいたら本当に最悪・・・ですが、フィクションというサンドボックス環境で観測するには至福の存在。
眼福です 💞
好きすぎて、3周ぐらい読み直してしまいました(笑)
推しポイント2:不謹慎なぐらい美しい文章
あと、殺人という生々しいテーマを扱いながら、全体として文章がお上品なのも、とても魅力的でした!
おフランスの作品はすみずみまで美しいと、相場が決まっているのでしょうかね。
サン=テグジュペリ先生の『夜間飛行』『人間の大地』とかも、桁外れに文章が美しいですもんね・・・
(あれ、そういえば「夜間飛行」も「人間の大地」も青空文庫に載ってない・・・しまった!💦 ここでは詳しく語りませんが、興味ある方はぜひ読んでください絶対損はしません)
さて、話をモーパッサン先生に戻すと、『狂人日記』は、あらすじだけ見ると人がたくさん死んでて、恐ろしい作品に見えます。
しかし実際読んでみると怖い感じは全然しなくて、むしろ読めば読むほど、裁判長の語りにどんどん惹き込まれていきました。
最初は小鳥。次は子供。
彼の記憶を追体験するうちに、ふとこんな感情が芽生えてきたのです。
「次は、誰を殺すんだろう?」
怖いとかゾッとするとかじゃなくて、どちらかというとワクワクドキドキに近い感情で抱いた疑問です。
「小説の中のこととはいえ、人が死ぬシーンにこんな感情を抱くなんて不謹慎だぞ!」と理性は叫んでいるのですが、それでもなぜか、次の獲物を求める気持ちが湧き上がってくる。
なぜ、こうなってしまうのだろう?
そう疑問を抱いたところで不意に思い出したのが、作品の前半部分に書かれていた以下の文章。
それは、殺すということが、生きものの心の中に自然が投げ込む大きな歓喜に外ならないからである。生きものにとっては殺すということほど立派なこと、尊敬に値することは無いのだから。
われわれ人間は、この自然な、激しい殺戮を好む、本能の命ずるところに従わないでいられないために、ときどき、戦争によって、一民族が他の民族を殺す戦争によって、自らを慰めるのだ。ところで、戦争というものは、血の濫費にほかならぬ。この濫費のために軍隊は熱狂し、市民たちは、女子供たちまでが、殺戮の記事を灯下に読んで、血の濫費に酔ってしまうのだ。
「なぜ?」という疑問に対する作者からの回答が、しっかり記されていました。
いったん最後まで読み切って、色々自分なりに考えてから、改めて最初の文章を読むと以前よりしっくりくるっていう、このループ。
読書体験まで美しく最適化されているとは、何事なんでしょうか。
こんなの、もう一周するしかないですよね(笑)
まとめ
本記事では、ギ・ド・モーパッサンの『狂人日記』のあらすじと感想を書かせていただきました。この記事を通して、少しでも彼の作品に興味を持ってくれる人がいらっしゃれば幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
改めまして、作品URLはこちら↓
おまけ:『狂人日記』が好きな人にオススメの作品!
このコーナーでは、world is aozoraの独断と偏見で、『狂人日記』が好きな人が気に入りそうな作品を推薦します。
次に読む本に困っているそこのあなた!
騙されたと思って読んでみてください。
オススメ1:『ある自殺者の手記』ギ・ド・モーパッサン
モーパッサンの別作品のご紹介です。
狂人日記の裁判長は大義名分すらなく人を殺しまくりましたが、こちらは「特に大きな理由もないのに自殺した男」のお話です。
彼の自殺の理由、きっと誰しも一度は襲われたことのある感情だと思いますよ。
オススメ2:『開化の殺人』芥川龍之介
続いては、芥川龍之介の『開化の殺人』。こちらも故人が残した遺書に、彼が犯した殺人の記録が残されていた、というあらすじの小説です。
しかし、こちらの殺人犯は『狂人日記』の裁判官とはまた違った想いで、行動を起こした様子。
真相は、ぜひ貴方自身で確かめてみてください!
オススメ3:『桜の樹の下には』梶井基次郎
私の中で、文章が美しい作家といえば真っ先に挙がるのが、梶井基次郎なんですよね。というわけで、続いては彼の作品です。
『桜の樹の下には』では、語り手の俺が「なぜ桜はあれほど美しいのか」という疑問に全力で答えてくれます。
その美しさの秘密とは・・・根元に埋まっている死体!?