こんにちは、world is aozoraです。
先日、物置の奥から、小学校6年生の時の日記帳を発見しました。
懐かしさにページをめくってみると、目に飛び込んできたのは、組体操の練習態度をめぐる所感。
もう全く覚えていないのですが、当時の私は、クラスの一部が練習に真面目に取り組んでいないことに憤り、全員が心を一つにして良い発表をするべきだと考えていたようです。そして日記の結びでは、次からは他の子たちにも一生懸命頑張ってもらえるように、こちらから働きかけようと決意を新たにしていました。
私、思わずここで拒否反応を示して、ページを閉じてしまいました。
「なんて意識高い系で鬱陶しい奴なんだ、過去の自分…」
何にどのぐらいの熱量を注ぎたいかは人それぞれ。他の生徒がどう取り組もうと、彼らの勝手。放っておけばいいのです。
注意したって自分に利益は一つもないし、余計な面倒ごとに発展するだけですから。
昔の自分ときたら、そんなことも分からなかったのでしょうか。
昔の自分が、今の自分とは真逆の考え方をしていることに、大きな衝撃を受けました。まあ、それだけ成長したということなのでしょうね。
しかし、よくよく考えてみると、これって、昔の私が今の私よりも真面目でひたむきだったことの表れではないかとも思います。それが大人になるにつれて、いつの間にか捻くれて、自分中心的な冷たい考え方をするようになってしまった。
成長とは「何かを得ること」だと考えがちですが、もしかすると何かを得た代償に、「もともと持っていた何かを失うこと」でもあるのかもしれませんね。
さて、本日紹介する小説は、苦難の人生を生き抜く中で「大切な何か」を失ってしまった人が主役の短編です。
タイトルは『些細な事件』。作者は『故郷』などで有名な魯迅です。
一体どんなお話なのか、早速見ていきましょう。
作品URLはこちら↓
作品の基本情報
タイトル:
些細な事件(読み方:ささい な じけん)
作者の出身地:
中国(浙江省)
翻訳者:
井上紅梅(読み方:いのうえ こうばい)(Wikipedia)
読了目安時間:
5分 〜 10分
文章の読みやすさ:★★★☆☆
新仮名遣いで書かれており、難しい漢字にはふりがなが振ってあるため、比較的読みやすいです。
ただ、ところどころに出てくる、現代ではあまり使われない珍しい単語が、内容を理解する上で難所になるかもしれません。
たとえば、在所(出身地、故郷のこと)とか、梶棒(人力車などに取り付けられている、車を引っ張るための長い柄)とか。
それほど多くはないですので、調べながら読んでも十分、楽しめる印象でした。
あらすじ
上京してからの6年間、激動の時代を生き抜いた主人公「わたし」。経験した革命・事変の類は数知れず。ときに命の危険すら伴うそれらの変化を乗り越えるうち、彼は冷たく、利己的な性格へと変わってしまった。
しかし、些細な出来事をきっかけに、彼はそのような心境から脱却する。
それは、ある人力車の車夫との出会いだった。
【結末まで知りたい方向け】 あらすじ続き
とある早朝、「わたし」は人力車に乗車していた。すると、歩いている老女と車体が接触し、事故を起こしてしまう。
幸い、目撃者は一人もおらず、老女も大した怪我をしていない(むしろ、まるで当たり屋のようにも見える倒れ方をしていた)。
「わたし」は咄嗟にこう思った。
「このまま老女を無視して立ち去れば、余計な手間がかからなくて済む」
しかし彼の考えとは裏腹に、車夫はすぐさま老女を助け起こすと、少しの迷いも見せずに交番へと向かい始めた。「わたし」は、その誠実な姿に圧倒される。
交番の巡査は『車夫がもう「わたし」を引くことはできない』と告げる。「わたし」は、気づけば巡査に銅貨を渡していた。
「これを車夫に渡しておいてくれ」と。
帰り道、「わたし」はなぜあの銅貨を渡したのか考え込む。明確な答えは出ないが、この出来事をきっかけに、彼は自分の行いを悔い改め、新たな決意で人生を歩み始めるのだった。
感想
詳しいストーリーは小説本編を読んでいただくとして、ここからは私が気に入っている点(推しポイント)をいくつかピックアップしていきます。
盛大にネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。
(なんなら、本編を読んでいただいてからの方が、楽しめる内容かもしれません)
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推しポイント1:これは銅貨あげちゃうよ・・・潔すぎる車夫
老女との接触事故後、すぐに彼女を助け起こし、交番へと向かった車夫。その責任感と誠実さは、まさに「潔い」の一言でしたね。
巡査の『あの車夫はあなたを挽いてゆくことが出来ません』というセリフの意味を悟った瞬間、胸を打たれました。
さて、交番に出頭した潔い車夫ですが、彼がその後どうなったかは書かれていません。気になりますね。
幸い老女に大きな怪我はなかったとのことですが、事故が起こってしまった手前、巡査も簡単に彼を無罪放免には、出来なさそうですよね。
人力車の運営を停止させられるのか、はたまた牢屋に入れられるのか・・・。
なんにせよ、このままだと車夫の先行きは、真っ暗です。
良いことしたのに、かわいそう ߹ㅁ߹)
誰か、ミラクルパワーで彼を無罪放免にしてやってくれ〜〜〜。
推しポイント2:ラスト2段落で垣間見える、主人公の葛藤
車夫への同情をいったん吐き出したところで、今度は主人公「わたし」の心境の方にも目を向けてみましょう。
彼の心境変化は、ラスト2段落にまとめられています。その中でとくに「深いな〜」と感じたのはこの文章↓
わたしは歩きながら考えたがほとんど自分のことに思い及ぶことを恐れた。以前のことはさておき、今のあの銅貨一攫みは一体どういうわけなんだえ? 彼を奨励するつもりか? わたしはこれでも車夫を裁判することが出来るのか? わたしは自分で答うることが出来ない。
「わたし」が巡査に銅貨を託したシーンの、直後に入っている文章です。
本文を見られる方は確認してみてほしいのですが、実はこれ、省略しても物語の筋は通ります。
それなのに、あえてこの文章が、物語のクライマックスシーンの直後に入れられている。
意味深、ですよね。
きっと魯迅先生は、何か伝えたいことがあって、この段落を書いたに違いありません。
小説の解釈なんてものは人それぞれ違って然るべきだと思いますが、私の場合、この段落には、主人公が車夫の行動から感じた「葛藤」が、ぎゅっと詰まっているように感じました。
私の解釈を、本文を意訳する形で書き出してみると、以下のような感じ。
- 『彼を奨励するつもりか?』 → 車夫の行動は確かに高潔だった。しかし、老女は怪我をしているようには見えなかったことから、もしかしたらタチの悪い当たり屋だった可能性もある。それに彼女にまともに取り合ったせいで、車夫は自分の客を途中で放り出してしまっている。これは職務放棄ではないのか。車夫の行動は必ずしも最善だったとは限らないのに、なぜ自分は彼を奨励するような行動を取ったのか?
- 『わたしはこれでも車夫を裁判することが出来るのか?』 → 私は高潔な精神も、公正な判断力も持ち合わせない、ごく普通の人間だ。それなのに、車夫の行動が正しくて、自分が間違っていたのだと、どうして判断できるのか? もしかしたら、車夫が過度に利他的すぎるのであって、自分のようにある程度の利己性を持ち合わせる方が、結果的に正しいかもしれない。それなのに、どうして?
これらのことを悶々と考えても、「わたし」は答えを出せません。それどころか、これについて考えて何か答えを出すことが、恐ろしくも感じてしまうのです。
答えを出すのが恐ろしいというのは、ある意味、当然の反応だと思います。
車夫が正しいと認めることは、「わたし」の価値観が間違っていたと認めるのと同じことです。でも自分の価値観って、それまでの人生の積み重ねで出来上がるものですよね。それを否定するのは、自分がこれまでやってきたことを思い切り否定することになりかねません。
しかも「わたし」の利己的な考え方だって、必ずしも間違っているとは限りません。むしろ、多少の保身や利己性は、自身の身を守るために欠かせない感性だったのではないかと思います。
現代人にも同じような葛藤はありますよね。
(ちょっと例えが悪いかもしれませんが)例えば、知らない人に「〇〇まで行きたいけれど、迷子になってしまった。一緒に来て、道を案内してもらえないか?」と声をかけられたとき。
困っている相手を放っておくのは心苦しいですし、案内してあげたいのはやまやまです。が、その一方で、道を教えてもらうふりをして近づいてくる犯罪者がいるってことも、ニュースでちょくちょく耳にします。
さて、この人を助けるべきか?
ここで「万が一ってこともあるから、関わるのはやめておこう」という考えに向かうのが、この物語の「わたし」。「それでも道を案内をする」という考えに向かうのが、車夫。
こんな対応関係が、とれるのではないでしょうか。
後者のような人間になれれば、そりゃあ勇敢で理想的ですけれども、前者の考え方も決して間違いじゃない。
高潔さと世知辛さのギャップで揺れ動くこの心理こそが、ラスト2段落で魯迅が描きたかった葛藤なのかな、と思いました。
・・・魯迅先生、もし違ったらごめんなさい (>_<。)💦
まとめ
本記事では、魯迅の『些細な事件』のあらすじと感想を書かせていただきました。
この記事を通して、少しでも彼の作品に興味を持ってくれる人がいらっしゃれば幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
改めまして、作品URLはこちら↓
おまけ:『些細な事件』が好きな人にオススメの作品!
このコーナーでは、world is aozoraの独断と偏見で、『些細な事件』が好きな人が気に入りそうな作品を推薦します。
次に読む本に困っているそこのあなた!
騙されたと思って読んでみてください。
オススメ1:『頭髪の故事』魯迅
魯迅の別作品のご紹介です。
小説というよりは、随筆というか、作者本人の回想の面が強いですが、その内容が興味深い!
『些細な事件』でも言及がある通り、魯迅が生きたのは、革命だの事変だので、本当に激動の時代でした。今の私たちではそれが、どんなに大変か想像するのすら難しいほどに。
そう、例えば、彼らの時代には髪型ひとつで、その人の人生が大きく変わってしまうこともあったようですよ。
詳しくは、以下の作品をチェック↓
オススメ2:『蜜柑』芥川龍之介
続いては、芥川龍之介の作品から。ある男が汽車の中で、1人の田舎娘に出会うお話です。
設定こそ違いますが、ストーリーの展開は『些細な事件』と似ています。
私が勝手に「似てるな〜」と思っているだけでなく、この2つの小説については多数の文献で類似点が指摘されています。
ぜひ読んでみてください!