こんにちは、world is aozoraです。
小説を読んでいると、たびたび「尋常ならざる性格を持った登場人物」に出会います。
異常なレベルの努力家、とか。
狂気的なほどの愛情を胸に秘めている人、とか。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている、とか。
邪悪に対して人一倍に敏感なために、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意してしまった、とか。
私はそういう「普通じゃない奴ら」が大好物でして、そういった人物が小説に出てくると、ウッホホイと飛び上がって喜んでいます。
ところで先日、小説の中でまた新しい「普通じゃない奴」に出会いました。
名前は阿Q。
本日紹介する『阿Q正伝』の主人公です。
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作品の基本情報
タイトル:
阿Q正伝(読み方:あキューせいでん)
作者の出身地:
中国(浙江省)
翻訳者:
井上紅梅(読み方:いのうえ こうばい)(Wikipedia)
読了目安時間:
1時間半〜
文章の読みやすさ:★★★☆☆
登場人物が中国の方々なので、漢字がたくさん出てきます。また、ところどころ中国特有の文化が説明なしで出てきます。
が! そのとっつきにくい印象も、コミカルな文体によって中和されています。
分からないところを、調べながら読むもよし。
想像力で補いながら、テンポよく進むもよし。
ある程度、普段から文章を読み慣れている人であれば、すぐに自分なりの読み方を見つけられると思います!
あらすじ
とある村に、阿Qという男が住んでいた。
彼は定職も住む家もなく、神様を祀る祠に住み着き、日雇い仕事で糊口をしのいでいる。その上、村の人間とはすぐに殴り合いの喧嘩を起こし(結果、ボコボコにされ)、金をもらってはすぐに博打ですってしまう。
控えめにいって、ロクでもない生活を送っていた。
しかし、阿Q自身はそんな生活に不満を覚えてはいない。どんなにつらいことがあっても、彼はすぐにポジティブに捉え直すか、忘れてしまう。
この超ポジティブ思考のおかげで、彼は現状を悲観するどころか、「自分こそが村で一番偉い人間だ」と信じ込んでいるほどだった。
ある日、阿Qはふとした思いつきで、地元の有力者・趙太爺の家で働く女中を、強引に口説こうとする。もちろん、あっさりフラれたのだが、それだけで事態は収まらない。
権力者である趙太爺の女中に手を出したことは、趙太爺への反逆行為も同然。阿Qは村八分状態に陥ってしまったのだ。
収入源を失い、食べるものさえ満足に手に入らない状況に追い込まれた阿Q。
彼が窮地を脱するために思いついた秘策とは...
【結末まで知りたい方向け】 あらすじ続き
阿Qは村を出て行方をくらまし、しばらく経ってから村に帰ってきた。村人たちは目を疑った。なんと彼は金貨や銀貨、そして上等な服をたくさん持っていたのだ。
阿Qの話によると、彼は「城のお偉いさんの家に仕えていたが、その家の主人と気が合わず辞めてきた」という。村人たちは半信半疑ながらも、阿Qに敬意を表し始める。
が、後日、その話が嘘であることが発覚した。阿Qは訳もわからぬまま強盗の片棒を担がされ、わずかな盗品を持って村に逃げ帰ってきただけだったのだ。
そんなことがあって、阿Qが再び村人から敬遠されるようになった頃。村周辺で革命の動きが活発化しているという噂が流れ始めた。
阿Qはもともと「革命軍は謀反人であり、悪いことだ」と考えていたが、最近の自分の境遇を考えると気が変わった。
「よし、俺は今日から革命軍になって、村の馬鹿野郎どもの運命を改めてやるぞ!」
さて、威勢よく革命を唱えはじめたはいいものの、彼には革命軍のツテがない。革命に加わりたくても、その術がないのである。
そうこうしているうちに、趙家をはじめとする村の有力者たちが、革命派に寝返った。有力者たちは革命軍に殺害されることを恐れ、彼らに迎合する道を選んだのだ。
しかし、彼らの実態が保守派のままであることがバレるとすぐ、革命軍は趙家を襲撃。村は混乱に陥っていく。
周囲で刻々と革命が進む中、阿Qは自分一人が取り残されたように感じ、憤った。
「俺は革命軍の一員なのに、みんな勝手に物事を進めていく。革命なんてくそくらえだ! 俺を無視した罰として、あいつらを密告してやる!」
だがそれを実行に移す前に、阿Qは警察に連行された。日頃から革命を吹聴していたため、趙家略奪事件に関与したのではないかと疑われたのである。
取り調べを行う役人たちに詰め寄られても、阿Qは自分が何の罪で捕まったのか理解できない。書類にサインを求められても、字が読めないので、言われるがままに丸を描くしかない。
そんな状況でも、阿Qは状況を楽観していた。
「生きていれば、牢屋に入れられることだってあるだろうし、丸を書かされることもあるだろう」
そして翌日、阿Qは訳もわからぬまま処刑台に立たされ、無実の罪で銃殺されてしまった。
感想
詳しいストーリーは小説本編を読んでいただくとして、ここからは私が気に入っている点(推しポイント)をいくつかピックアップしていきます。
盛大にネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。
(なんなら、本編を読んでいただいてからの方が、楽しめる内容かもしれません)
。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。
推しポイント1:スーパーポジティブな阿Qの、精神的勝利法
殴り倒されても「格下の奴が、格上の俺に反発しているだけだ」と、逆に相手を見下すことで勝利の陶酔に浸り、投獄された時ですら「生きていれば柵の中に入れられることもあるだろう」ぐらいのノリで受け流す。
常人に真似できるメンタルではありません。
「普通じゃない」数々の行動を浴びて、私は大変満足でした。
彼ほどの強メンタルで生きていけたら、人生楽しいでしょうね(笑)
ちなみに作中では、そんな阿Qくんの「精神的勝利法」— つまり常にポジティブでいる秘訣が語られています。例えば、
どんなことでも、一番最初の人ってのは、偉いものでしょう?
ふむふむ、なるほど。
なかなか精神衛生上、よろしくなさそうな勝利法ですね。
真似をするのは、遠慮しておくことにします(笑)
プチ考察:阿Qの「精神的勝利法」は、本当に「勝利法」なのか?
阿Qの精神的勝利法について、wikipedia では以下のように解説されています。
主人公は、観念操作で失敗を成功にすりかえる「精神勝利法」、面従腹背、卑屈と傲慢の二面性など、封建植民地社会内における奴隷性格の典型といえる人物
奴隷って・・・
日常生活でなかなか出会わないレベルの不穏さです。
「ちょっと大袈裟すぎん?」って感じのヒドイ書かれ方ですが、実際、本文中でも、役人が阿Qの「奴隷根性」を揶揄するシーンがありました。
むしろ魯迅先生的にも、そういった性格特性を意識して阿Qの行動を描写していたのかも!
阿Qには、上層の人間を本気で打ち倒すほどの、頭脳・動機・人望がない。
さらには、どんなに辛い生活を強いられても、その中に小さな美点を見つけては、現状に満足してしまう。
反乱の首謀者たりうる気質からは、最も遠い人間である。
こういうふうにまとめてみると、阿Qはいかにも、服従させるにはもってこいの人材でした。
阿Q・・・!
強く生きてくれ・・・。°(´ฅωฅ`)°。
推しポイント2:克明に描き出される、辛亥革命時代の格差社会
革命にも色々ありますが、阿Q正伝の時代背景は「辛亥革命」の真っ只中と言われています。
そしていつの世も、革命を起こす人々の志は一つ。
「高い階級の人間だけが支配する社会をぶち壊し、社会的に弱い立場でも豊かな暮らしを送れる世界にしたい!」
つまり革命の世の中というのは、人々の間に大きな格差が存在して、それを覆そうとしている時代なのだと思います。
『阿Q正伝』では、そういった社会的な「格差」が至る所で描かれています。
超・格差社会。ここに極まれりです。
裕福な人はどこまでの裕福なのに、阿Qのような下級層には、自分が下層に属することすら理解できていません。
こうした格差の大きな社会の姿を、最下階級の目線から描いたのが『阿Q正伝』なのかもしれませんね。
プチ考察:阿Qは、なぜ「Q」なのか?
『阿Q正伝』についてGoogleで検索しているとき、気になるサジェストワードを見つけました。
阿Q正伝 なぜQ
たしかに、中国の方の名前にアルファベットが入るのって、超レアですよね。
なぜこのような名前表記なのでしょうか。答えは、小説の冒頭の章(正伝の書き手が語っている言葉)に記載されています。
わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを竹帛に著す」ことが出来よう。
竹帛に著す、というのは「書物に書き表す」という意味です。
つまり書き手の「わたし」も村の人々も、誰も阿Qの正確な漢字を知らなかったので、発音の近い「Q」を代わりに書くしかなかったのが、アルファベットが使用された理由でした。
阿Q本人は読み書きができなかったので、自分で自分の名前を書いたことは、もちろんないでしょう。
また身寄りもないので、家族の誰かが書いてあげるということもなかったのだと思います。
周囲の人も彼の名前の正確な漢字が気になるほど、彼に興味がなかったのでしょうね。
そして驚いたことに、死刑になった時の裁判の判決文にすら、彼の名前は残っていなかったようです(よほどテキトーに死刑宣告されたってことでしょうか・・・?)。
それほどまでに、社会とのつながりをうまく築けなかった阿Qくん。
なんだか、切ないですね (*´..)
推しポイント3:魯迅先生がこれを書いた意義がすごい(他者目線の想像力)
最後に、魯迅先生がなぜ『阿Q正伝』という物語を書いたのか、一体彼は何を伝えたかったのか、という部分を考察して、感想パートを終わりたいと思います。
あくまで私個人の見解ですので、必ずしも正確ではないことはご了承ください(正確な考察を求めるなら、きっと魯迅を研究者たちの論文を読むと大正解なはず・・!)
私はこの小説を「中流〜上流階級の人々に向けて、自分たちがいかに無自覚に弱者を疎外・迫害しているかを批判したもの」だと捉えました。
そもそもこの作品は、小説です。文字が読める人でないと、内容を知ることができません。よってこの小説のメッセージの受け取り手は、最低限の教育をきちんと受けて育った人たちなのです。
世間のインテリたちが革命を叫び、「より多くの人々が、豊かな生活を送れる社会」を目指して激動したこの時代。
しかし彼らのいう「多くの人々」の中に、阿Qのような最も立場の弱い人たちは、入っていたのでしょうか?
小説の中で、阿Qは村人たちから疎外され、豊かで安定した生活とはどんなものかを知ることもなく、銃殺されてしまいました。
革命だ、革命だと騒いではいるけれど、それによって弱者たちは本当に救われたのか?
彼らが本当に救いたいのは弱者ではなく、自分自身ではないのか?
この作品は、社会が抱えた矛盾や、無自覚な差別・迫害といったものを、総合して批判しているのではないかと感じました。
それにしても。
社会から取り残されてしまった阿Qという人物から、世界がどんなふうに見えていたのかを、(没落したとはいえ)元は良家のご子息だった魯迅先生が書くとは。
他者への想像力が、半端ねぇですわ!
まとめ
本記事では、魯迅の『阿Q正伝』のあらすじと感想を書かせていただきました。
この記事を通して、少しでも彼の作品に興味を持ってくれる人がいらっしゃれば幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
改めまして、作品URLはこちら↓
おまけ:『阿Q正伝』が好きな人にオススメの作品!
このコーナーでは、world is aozoraの独断と偏見で、『阿Q正伝』が好きな人が気に入りそうな作品を推薦します。
次に読む本に困っているそこのあなた!
騙されたと思って読んでみてください。
オススメ1:『狂人日記』魯迅
魯迅の別作品のご紹介です。
阿Qは「我こそが、村で一番えらい人間だ」という最強メンタルで生きていましたが、こちらの作品の主人公は、逆に村人たち全員に怯えながら暮らしています。
なんと『狂人日記』の村人たちは、彼を食おうとしているらしいのです・・・!
主人公の語る内容は、嘘か真か。
ぜひ読んで、確かめてみてください。
あらすじと感想はこちらから↓
explorer-of-the-aozora.hatenablog.com
オススメ2:『狂人日記』ニコライ・ゴーゴリ
続いてのおすすめは、またしても狂人日記です!
狂人の日記、大好きかよ。奇遇ですね。
こちらの作品の主人公も、阿Qと同じく、ちょっとおバカなポジティブ系です。
ストーリーの展開も、似ていたり、似ていなかったり・・・