こんにちは、world is aozoraです。
白象って、絵や置物ではよく見かけますよね。
例えば、こんな感じとか。
なんだか高貴な雰囲気が漂っています。
それもそのはず。
白象は、東南アジアやインドでは古くから神聖な動物として崇められてきました。タイでは王権の象徴として大切にされ、仏教では釈迦の母親の元に白い象が現れたという伝説も残されています。
一方、英語圏で「white elephant」という言葉は、厄介なものという意味で使われます。ある王様が、嫌いな家臣に莫大な維持費のかかる白い象を贈ったところ、家臣は象を粗末に扱うことも捨てることもできず、困り果ててしまったという逸話から生まれた言葉だそうです。
文化によって捉え方の大きく異なる、白象。
本日はそんな白象が登場する、『オツベルと象』という作品を紹介していきます。
作品URLはこちら↓
作品の基本情報
タイトル:
オツベルと象(『オッペルと象』と書かれることもある)
読了目安時間:
15分〜20分
文章の読みやすさ:★★★☆☆
読者に語りかける口調で書かれており、文章のテンポが良く、スイスイ読める作品になっています。
また、中1の教科書にも載っていることから分かるように、難解な漢字や単語もほとんど登場しません。
文面を追うだけなら、非常に読みやすい作品と言えるでしょう。
ただ、後述のとおり、この作品には考察要素がたくさん含まれています。表面上のストーリーだけでなく、そこに込められた作者の意図まで汲み取ろうと思ったら、20分どころか数日あっても全く足りないと思います。
そういう意味を込めて、読みやすさレベルは ★3 としました。
あらすじ
ネタバレなし版
オツベルときたら大したもんだ。
ある牛飼いの話によると、オツベルは十六人もの百姓を雇って、稲扱仕事をやらせている。
百姓たちがが汗水垂らして働くおかげで、豊かな暮らしを送っているのだ。
そんなオツベルの仕事場へ、ある日、白象がやってきた。
百姓たちはガタガタ震えた。だって、白い大きな象だぜ? 何をしでかすか分からんぞ!
オツベルだって怖かった。が、そこはさすがの彼である。勇気を出してこう言った。
「ずうっとこっちに居たらどうだい。」
すると白象はけろりと答える。
「居てもいいよ。」
するとオツベルは大喜び!
だってこれでもう、白象は彼のもの。
奴隷のようにこき使うのも、サーカス団に売り飛ばすも、全て彼の自由だ。
【結末まで知りたい方向け】 あらすじ続き
【結末まで知りたい方向け】 あらすじ続き
この物語は「第一日曜」「第二日曜」「第五日曜」の3章で構成されている。
第一日曜
先ほどのあらすじの通り。
ある日オツベルの仕事場に、ふらりと白象が迷い込んでくる。
オツベルは白象を恐れながらも、勇気を振り絞って声をかけ、象を仕事場にとどめることに成功した。
これでもう、象はオツベルの財産。うまく使えば莫大な利益を生み出すことが可能となった。
第二日曜
象を手に入れたオツベルは、時計や靴をプレゼントするふりをして、象の足を鎖で繋いでしまった。それから毎日、象の純真さにつけ入りながら、巧みに仕事を言いつけた。
「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を汲くんでくれ。」
「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」
心優しい白象は、文句も言わずに仕事をこなした。
しかしオツベルはそれを労うどころか、日に日に象のエサを減らしていった。
第五日曜
オツベルがあんまり厳しい労働をさせるので、象はどんどん弱っていった。 ある夜、象は月に向かって自身の苦しみを嘆く。しかし月の対応は冷たい。
「図体ばかり大きいくせに、情けないな。仲間に手紙でも書いたらどうだい」
そこへタイミングよく赤い着物の子供がやってきて、象に手紙を書く道具を渡してくれた。
白象はさっそく、森に住む仲間たちに手紙を書いた。
「酷い目に遭っているから、助けてくれ」
すると仲間の象たちは激怒して、森を突っ切り、すぐさまオツベルの仕事場へ駆けつけた。
オツベルは銃で対抗するが、弾丸は象たちには通らない。
最後にはオツベルは、象たちに押しつぶされてくしゃくしゃに潰れてしまった。
こうして助け出された白象は、仲間たちに囲まれながら、「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」と寂しく笑ったのだった。
感想
ここからは私が気に入っている点(推しポイント)をいくつかピックアップしていきます。
盛大にネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。
(なんなら、本編を読んでいただいてからの方が、楽しめる内容かもしれません)
。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。
推しポイント1:軽快で心地よいリズム
推しポイント1つ目は、軽快で心地よいリズムです。思わず読み上げたくなるような、テンポのいい文章が並んでいます。
このテンポの良さの秘密は「文字数」にある、と私はにらんでいます。
というのも、この小説の文章の多くは「5音(or 字余りで6音)」と「7音(or 字余りで8音)」の言い回しを繋げることで作られているのです。
俳句と同じような文字数配分で作られているため、他の文章よりもリズミカルに感じるのですね。
ちなみにこの5音7音戦法、現代の作家さんにも使っていらっしゃる方がいます。有名どころだと、村上春樹さんなどが挙げられます。
しかし書き手としては、かなり骨の折れる戦法です。
私もあらすじを書くときに少しだけ意識してみたのですが、文字数の合う言い回しを思いつくのが難しく、かと思えば、文字数ばかりが気になりすぎて文章の中身が伴わなかったりしました。
作品全体の文字数を揃えるとなると、一体どれだけ大変なのか・・・・・・。
作者の文章への強いこだわりを感じました。
推しポイント2:考察しがいがありすぎるストーリー
推しポイント2は、考察できるポイントの多さです。
『オツベルと象』は一見、象と人間を描いたファンタジーのように見えて、実は複雑なメッセージが隠れている部分がたくさんあります。
以下で、その一部を紹介していきます。
考察
【考察1】オツベルと白象の関係は何を表している?
まず気になるのは、オツベルと白象の関係性です。オツベルが象を騙して自身の仕事場に拘束・使役する、というファンタジーな世界観にはそぐわない設定になっていますよね。
なぜこんな設定になっているのでしょうか?
二つの視点から考察してみました。
説1:労働者を搾取する社会の風刺
一つ目は、オツベルと象の関係が、資本家と労働者の搾取関係を表しているとする説です。
本文中でオツベルは、象を騙して働かせ、利益を得ています。これは、資本家が労働者を低賃金で働かせ、利益を独占する構図と重なります。
一方、象は、オツベルに自由を奪われ、過酷な労働を強いられています。これは、資本主義社会における労働者の苦境を表しているのではないでしょうか。
このように考えられる根拠は、作品の時代背景にあります。
『オツベルと象』が発表された1926年は、労働者たちが 低賃金 かつ 劣悪な環境での 長時間労働 を強いられていることが問題視されていました。
プロレタリア文学が隆盛したのも、この時代です。
宮沢氏も小説を通して、不条理な社会を描こうとしたのかもしれません。
この視点で考えてみると、オツベルが象を鎖で繋いだのは雇用契約の暗喩だと思えてきますし、餌を徐々に減らしていくのも、労働者の賃金が安すぎることを例えているように思えます。「税金」や「経済」という単語が、随所に登場するのも納得がいきますね。
・・・ただこの説1だけでは、ちょっと違和感のある点もまだ残っています。
違和感1: 労働者の比喩にしては、白象が強すぎる
一つ目の違和感は、「第一日曜」〜「第二日曜」でのオツベルの心情にあります。
彼は白象に接するとき「コイツを怒らせてしまってはいないだろうか?」と常にビビりながら話しているのです。
資産家が一人の労働者と接するとき、これほど相手を恐れることがあるでしょうか? あまり想像がつかないですよね。
もちろん、この白象の強さを「資産家が恐れ慄くぐらい、労働者一人一人には大きな力が眠っているんだぞ!」という、作者からのメッセージと受け取ることもできます。
しかし、本当にその解釈で合っているのか。何か別の意味があるんじゃないか、と勘ぐりたくなる描写だと、私には思えました。
違和感2 : 牛飼いの存在が謎のまま
二つ目の違和感は「牛飼い」の存在です。
『オツベルと象』は、作品全体が「牛飼い」の一続きのセリフとして描かれています。つまり「牛飼い」が、この物語の語り手なのです。
しかし、だとしたら、なぜ語り手が牛飼いなのでしょうか?
お話をするなら、紙芝居小屋のおじさんとかの方が、自然なですよね。
わざわざ牛を登場させたのには、何か理由がある予感・・・・・。
以上のことから、私はオツベルと象の関係には、資産家と労働者に加えてもう一つ、込められている意味があると考えています。
説2:英国のインド植民地化に対する風刺
それは、当時のイギリスとインドの関係性を風刺しているという可能性です。
その根拠の一つとなるのは、物語の舞台設定。
白象や沙羅樹が出てくることから、おそらくインドだと思われます。
一方、オツベルはというと、オムレツやビフテキを食べているなど、西洋っぽい生活をしているようです。
特にビフテキなんて、インドでは一般的なメニューではないですよね(牛は神聖な生き物ですし)。
インドで生活し、多くの労働者を従えている西洋人。一体何者なのか?
ヒントとなるのは、またしても作品発表時の時代背景です。
この当時、インドはイギリスの植民地支配を受けていました。
もしこの状況が作品に反映されているのだとしたら、オツベルはインドに入植してきたイギリス人、白象の方はインドに元々住んでいた人を表している、と考えられるのではないでしょうか。
しかし、まだ違和感が残っています。説1でも述べたとおり、オツベルは白象を恐れているのです。
象が支配されている側だとすると、ちょっと不自然な設定ですよね。
ここから考えられるのは、白象は支配を受けても屈服せず、逆に支配者を脅かすパワーを持った人がモチーフになっているという可能性。
一人思い当たるのは、マハトマ・ガンディーという人です。歴史の教科書で名前を見たことがある方が多いのではないでしょうか。
ガンディーはインドを守るため、民衆に不服従を訴え、イギリス製品の不買運動を行なっていました。そしてこの不買運動が行われていたのが、『オツベルと象』が発表されたのとほぼ同じ時期なのです。
そう考えると、作者が白象のモチーフとしてガンディーを選んだという説は、あり得ない話でもないですよね。
それに、白象がガンディーだと考える根拠はもう一つあります。それは第五日曜の冒頭で、白象が月に祈るシーン。
ヒンドゥー教には月の神様(チャンドラ)がいますし、イスラム教でも三日月が旗に描かれるなど、月が重要な地位を占めています。
また白象はお祈りの際「サンタマリア」と呼びかけていますが、これはキリスト教の聖母マリア様のことを表す呼び名です。
ところでガンディーは生前、こんな言葉を残しているんです。
見事に3種類の宗教をコンプリートしていますね。
以上のことから、オツベルと象の関係は、単純な資本家と労働者の関係だけでなく、英国とインドの植民地関係という別の側面も持ち合わせていると考察できます。
物語の語り手が、ヒンドゥー教で神聖視されている牛を飼っているというのも、こうした要素に絡んできそうですよね。
物語の至るところにヒントが散りばめられていて・・・・・・やっぱり宮沢賢治はすごい!
【考察2】白象が寂しく笑った理由
白象を散々こき使ったオツベルですが、物語のクライマックスでは、いよいよ天罰がくだります。白象の仲間の象たちが押し寄せてきて、オツベルのことを押し潰してしまうのです。
その後、鎖を解かれた白象は、助けに来てくれた仲間たちにお礼を言います。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
せっかく劣悪な労働環境から解放されたのに、なぜ白象は「さびしく」笑ったのでしょうか?
これについてググってみると、本当に様々な解釈が上がっています。
- 助かりはしたものの、働く場所を失ってしまい悲しくなったから
- 白象は「助けてほしい」と言っただけで、オツベルに死んでほしいとまでは思っていなかったから
- 自分は助かったけれど、オツベルに雇われていた他の百姓たちはどうなるのか、と心配しているから(≒ オツベル一人が死んだところで、厳しい労働者たちの生活は改善されないから)
- 仲間に迷惑をかけてしまったから
- これまでの労働に疲れ果てていたことで、白象の表情が寂しげに見えた
他にはどんな理由が考えられるでしょうか。
調べたり、新たに考えたりしてまとめました。
Wikipedia版の解釈
Wikipediaのオツベルと象のページでは、白象の表情が寂しく見えた原因を「オツベルの冷酷さを改心させられなかったことへの悲しみ」と紹介しています。
オツベルは白象を騙して鎖で繋ぎ、厳しい労働を強いた冷酷な人間でした。
しかし、もし白象がオツベルに働きかけて、彼を改心させることができていれば・・・・・。きっとみんな、今よりも楽しく働けただろうし、オツベルだって死なずに済んだかもしれない。
そんな後悔が、白象の表情に現れているという考え方です。
「税金が上がったから助けてくれ」という、オツベルの本当かどうか怪しい 嘆願にも快く応じてくれる、優しい白象だからこそ、こんなふうに思えたのかもしれないですね。
国がボロボロになった悲しみ
ここからは私の独自解釈です。
私は、これまでに挙げた理由に加えて、白象は「自分の大切な場所がボロボロに壊れてしまった」ことを悲しんでいるのではないかと感じています。
ここで思い出していただきたいのが、仲間の象たちがグララアガアと嵐のように白象の元へ駆けつけたシーン。
このとき、象たちが途中で通過した森はどうなったでしょうか。
本文の言葉を借りると『小さな木などは根こぎになり、藪やぶや何かもめちゃめちゃ』になってしまいました。
これが、仲間たちが自分を助けにきた代償です。
自分は過酷な労働から解放されたけれど、そのせいで、オツベル邸はおろか、象たちの住処である森まで破壊されてしまった。
そのことがツラくなって、白象は寂しげに表情をかげらせたのではないでしょうか。
共存の難しさ
さらに、こうも考えられます。
白象はオツベルと共存して、お互いが尊重し合いながら生活できるようになることを望んでいた。でも結局、自分は何もできず、オツベルが死ぬまで事態は解決できなかった。
白象は自身の理想が打ち砕かれて、悲しくなってしまったのです。
これは、考察1の説2(白象はガンディーの比喩)の主張に則って考えた意見です。
ガンディーは「非暴力・不服従」つまり、暴力は振るわないが服従もしない、という姿勢を貫いた人物です。
もし白象も同じ考えならば、この結末は、非常に残念なものでしょう。
暴力を使わない共存を願っていたのに、結局は仲間の象たちがオツベルを殺してしまったのですから。
しかもそのきっかけとなったのは、白象自身が出した「助けてくれ」という手紙だったのです。
白象は、仲間たちが助けに来てくれたことに安心すると同時に、自身の引き起こした結果に深く失望したのではないでしょうか。
【考察3】『おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。』とは、どういう意味?
白象が寂しく笑うことで、クライマックスシーンが締めくくられる本作。そして、物語の最後の一文として、
おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
という謎めいた言葉が添えられています。
この一文に、読者の皆さんは様々な疑問を抱くことでしょう。
- 一字不明の部分には何が入るのか?
- 「川」とは何を意味するのか?
- この一文は、物語全体を締めくくるどのようなメッセージを含んでいるのか?
色々な解釈があると思いますが、これも私なりに考えてみました。
一字不明に入る文字は「君」?
多くの解釈で有力とされているのが、「一字不明」を「君」と補う説です。
これはかなり有名な説で、『オツベルと象』を掲載している本の一部は、一字不明を「君」と埋めた状態で出版されています。
では「君」とは、誰のことを指しているのか?
これは多くの場合、「牛飼いが話している相手」だと解釈されています。
語り手である牛飼いは、小さな子供に向けてオツベルの話をしていました。しかし「寂しく笑った」のところでクライマックスが終わってしまったため、聞き手の子供は話に飽きて川で遊ぼうとし始めます。それを「危ないからやめなさい」と止めようとしている。
というのがこの解釈の考え方です。
筋は通っていますよね。
実際、ググってみると、この解釈が一番多くヒットするように思います。
ですが私は、この説にはあまり納得できていません・・・・・・。
だって、子供が牛飼いの話を聞いているのであれば、作品のどこかでそう明記すると思うんですよね。しかし本文中には「子供」の話は一切出てきません。
それに、これは物語の「最後の一文」です。作品全体を締めくくるオチであり、作者からのメッセージを最も込めやすいのがこの文章です。
労働者の厳しい現実やインドの植民地支配など、大きなテーマが見え隠れする大作のラストが「子供はこの話に飽きてしまいました」でいいのでしょうか・・・・・・。
もちろん、作品からどんなことを感じるかは人それぞれですから、全ての解釈が正解ですけどね! (というか、みんなが違う「正解」を持っているから、読書や考察は面白い!)
ちなみに「君」を一字不明に補うパターンには、次のような解釈もあります。
川というのは「時代の流れ」や「周囲の人たちの動き」などを表している。そして牛飼いは聞き手の子供に、「周囲に簡単に流されてはいけないぞ(そうじゃないと、白象のように酷い目に遭うぞ!)」と警告している。
こちらの方が、個人的にはしっくりきます。
一字不明に入る文字は、白象の名前?
私の独自解釈として、「一字不明」に白象の名前が入る可能性も考えてみました。
象の名前は本文では明かされていないので、作者がわざと一字不明のままにしたのではないか、という推測です。
この場合、「川へはいっちゃいけないったら。」には、二通りの解釈があると思います。
解釈1 : 超絶ハッピーエンド解釈
一つ目の解釈はこうです。
白象は仲間に助けてもらって、やっと過酷な環境から解放されました。それが嬉しくて、ついテンションが上がって川へ飛び込んでしまった。
しかし、オツベルの元に囚われていた間に、すっかり痩せ細ってしまった白象ですから「いきなり川なんかに入ったら危ないよ」と仲間が心配したのかもしれない、という内容です。
この解釈だと、白象が嬉しそうで微笑ましいですね。
(ですが、直前で白象は「寂しく笑った」ばかりですので、川に飛び込むほどテンションが高かったかと言われると、疑問は残るところです)
解釈2 : 超絶バッドエンド解釈
二つ目の解釈は、かなりバッドエンド寄りです。
苦しい環境からやっと逃げ出せた白象。しかし自分が出した手紙のせいで、森は破壊され、オツベルは死んだ。それに自分自身も過酷な生活が祟って、すっかり衰弱してしまった。これでは今後も、仲間たちに迷惑をかけてしまうだろう。
・・・・・・という、過度の衰弱と未来への悲観から、川へ飛び込んでしまう、というのがこの解釈です。
同じ「川へ飛び込む」でも、さっきとは180度、意味が違いますね。
しかし「寂しく笑った」に対する考察を念頭に置くと、こちらの方が解釈1よりも有力なのも、心苦しいポイントです。
一字不明に入る文字は「英」?
また、一字不明に入る文字を「英」にするパターンもあると思います。
「英」とはもちろん、イギリスのこと。つまりこれは、インド植民地支配のメタファーとしての『オツベルと象』にフォーカスした解釈です。
この場合、「川」が指すのは「ガンジス川」など、インドの方々が非常に大切にしている川だと考えられます。
インドにズカズカと入り込み、人々を支配し始めたイギリスに対して、「他の国の文化を、そう簡単に踏み躙るべきではない」と作者は伝えたかったのかもしれませんね。
他にも細かい考察要素がいっぱい!
ここまで、3つのポイントについて詳しく考察しました。
しかしまだまだ『オツベルと象』には考察できる要素がいっぱいあります。
ここから、一挙にご紹介していきます!
6がたくさん出てくる理由
六台の器械に、十六人の百姓、六寸のビフテキ。
オツベルに関連するものには、6という数字が頻繁に出てきます。
ところで、キリスト教では「666」は不吉な数字。
もしかして6がたくさん出てくるのは、オツベルが死んでしまうことを暗示している・・・?
赤い着物の童子は何者?
「くしゃくしゃ」というオノマトペ
オツベルはよく「くしゃくしゃ」になる。
くしゃくしゃの笑顔を見せたり、くしゃくしゃに潰れてしまったり。
でも「くしゃくしゃ」って、あまり人間に対して使う言葉じゃなくて、どちらかというと紙を丸めたときなんかに出る音ですよね。
このことから、くしゃくしゃというのは「紙幣」を暗示するのではないか、という考えがあるようです。
オツベルの金の亡者っぷりが現れていますね。
なぜ「オツベルときたら大したもんだ」なのか?
牛飼いがちょくちょく発している言葉です。白象を冷酷に扱い、最後には死んでしまったオツベルを、どうして大したもんだと誉めているのでしょうか?
二つの説が考えられると思います。
1:牛飼いも人を雇う側だから
牛飼いは、多くの牛を飼い慣らし、取りまとめる職業。・・・・・・と考えると、労働者というよりは、雇い主側に近い感性を持っているのではないか、という解釈です。
牛飼いは最初、象をうまく飼い慣らしたオツベルを、心から称賛していたんですね。
2:盛大な皮肉
二つ目の解釈はその真逆。「大したもんだ」というのは、オツベルに対する盛大な皮肉だとするもの。
冷酷な振る舞いをするオツベルを、持ち上げるふりをして貶めているわけです。
どちらが正しいかは、あなたの解釈次第。
まとめ
本記事では、宮沢賢治の『オツベルと象』のあらすじと感想を書かせていただきました。
この記事を通して、少しでも彼の作品に興味を持ってくれる人がいらっしゃれば幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
改めまして、作品URLはこちら↓
おまけ:『オツベルと象』が好きな人にオススメの作品
このコーナーでは、world is aozoraの独断と偏見で、『オツベルと象』が好きな人が気に入りそうな作品を推薦します。
次に読む本に困っているそこのあなた!
騙されたと思って読んでみてください。
オススメ1:蜘蛛となめくじと狸 | 宮沢賢治
宮沢氏の別の作品のご紹介です。
蜘蛛となめくじと狸がお互いに競争していたのですが、最後にはみんな死んでしまうというお話。さて、どうして死んでしまったのか?
こちらもメルヘンチックな世界観かと思いきや、かなりダークに仕上がっています。
気になる方はぜひご一読を。
オススメ2:夢がたり | フセヴォロド・ミハイロヴィチ・ ガールシン
続いての作品は『夢がたり』。
自然の中に住む虫たちやカタツムリ、村に住んでいる馬などが、みんなで寄り集まって何かを話し合っています。
こちらも一見、子供向きファンタジーなストーリーですが、話している内容は結構、深いです。
ぜひ読んでみてくださいね。