こんにちは、world is aozoraです。
本日は『檸檬』という作品を紹介していきます。
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。」という印象的なフレーズや、檸檬爆弾などで有名なこちらの作品。
高校3年の現代文の教科書にも載っているほどの、超ビッグタイトルです。
著作権が切れてもなお愛されるロングセラーの秘密は、一体どこにあるのか。
この記事では、実際に読んでみた感想や自分なりの考察も含めて、『檸檬』の魅力を探っていきます!
作品URLはこちら↓(青空文庫のページに飛びます)
基本情報
タイトル:檸檬
読了目安時間:10分〜15分
あらすじ
主人公の「私」は日々、心を押さえつける憂鬱な気持ちに苛まれていた。
以前は彼を惹きつけて止まなかった音楽や絵画も、最近はその憂鬱な気持ちのせいで美しいと思えない。
廃墟のような街並みや、安っぽい玩具や雑貨だけが、哀愁の漂う今の自分にぴったりな気がしていた。
そんなある日、彼はとある果物屋を訪れる。
陳列棚に置いてあったのは、ひんやりとした手触りの、みずみずしい檸檬だった。
これはたった1つの檸檬が生み出した、ささやかな幸せの物語。
『檸檬』はこんな人にオススメ!
詩的で美しい表現が好きな人
梶井氏作品の魅力の一つは、詩的な比喩表現です。
小説『檸檬』にも、読者の胸を打つ綺麗な文章が幾度となく現れます。
例えば、主人公が果物屋を訪れるシーンで、梶井氏はこのような表現を使っています。
何か華やかな美しい音楽の快速調アッレグロの流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝こり固まったというふうに果物は並んでいる。
つまり短くいうと、「華やかに流れる音楽が、もし色や形を持っていたとしたら、きっとこんなふうに見えるだろう」みたいな内容ですね。
なんてオシャレな表現!!
きっと、この美しい文章に魅了される人も多いはず。
我こそはと思った方は、ぜひ読んでみてください!
主人公と一緒にハッピーな気持ちになりたい人
青空文庫に収録されている小説って、仄暗い世界観というか、読んでいてハッピーな気持ちになれる作品が少ない傾向にありますよね(あくまで筆者の体感ですが)。
しかし『檸檬』は違います。
序盤こそ主人公はひどい憂鬱に苛まれていますが、檸檬と出会ってからは一変して、前向きな気持ちを取り戻していくのです。
読めばあなたも、檸檬1個で幸せを感じる人種になること間違いなしです!(笑)
感想(ネタバレ注意!)
詳しいストーリーは小説本編を読んでいただくとして、ここからは私が気に入っている点(推しポイント)をいくつかピックアップしていきます。
盛大にネタバレを含んでいますので、未読の方はご注意ください。
(なんなら、本編を読んでいただいてからの方が、楽しめる内容かもしれません)
推しポイント1:「そんなことあるよね」と共感必至の憂鬱エピソード
推しポイント1つ目は、物語の序盤に出てくる、主人公の憂鬱を表す数々のエピソードです。
明確な理由もなく、ただ漠然と心が重く、何もしたくなくなる。
そんな経験、あなたにもありませんか?
そういうときって、いつもは心が踊るはずのことにも、全く魅力を感じなくなるんですよね・・・・・・。
もう全部どうでもいい、もう何にもしたくない・・・・・・みたいな。
物語の冒頭では、主人公もそんな状況に陥っていました。
そして彼は、憂鬱な気持ちを紛らわせるために、さまざまな行動に移ります。
例えば、
びいどろのように、子供のときを思い出すような、懐かしいもので遊んでみたくなったり。
「壊れかかった街」や「安っぽい花火」など、みすぼらしいけれど、どこか退廃的な美をたたえているものばかりに、妙に惹きつけられたり。
さらには、壊れかかった街を眺めながら、自分がどこか見知らぬ土地にいるのだと空想してみたり。
皆さんも落ち込んだときや元気のないときに、どれか1つぐらいはやったことがあるんじゃないでしょうか?
私は特に2つ目に挙げたエピソードに、すごく身に覚えがありました。
例えば「自分ってなんてダメなやつなんだろう」とか、自分で自分が嫌になってしまったとき。
何かに癒されたいはずなのに、その何かが自分より優れていたりすると、「どうせ自分はこんな美しいものの足元にも及ばないような、価値のない人間ですよ〜。ふんっ」と、さらに不貞腐れてしまう。
だからこそ、そんなときに心に訴えかけてくるのは、梶井氏の言うとおり「二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚こびて来るもの。」だったりするのです。
みすぼらしくて美しいものがあれば、自尊心を傷つけられずに癒されることができますから ٩(。˃ ᵕ ˂ )وイェーィ♪
(あれ・・・もしかして私、性格悪い?)
皆さんも、読んでみると「自分だけじゃなかったんだ」と思えるようなエピソードが見つかるかもしれませんよ!
プチ考察①:不吉な塊の原因
先ほども述べたとおり、物語の序盤では、主人公が明確な理由のない憂鬱に襲われています。彼はこの状況を、小説の最初の1文でこう表しました。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。
モヤモヤしたネガティブな感情を、ズバリ言い当てた素敵な表現ですね!
しかし主人公は、なぜこのような気持ちになってしまったのでしょうか?
もちろん「えたいの知れない」と主人公自身が述べているように、本文中に原因が明記されているわけではありません。
が、せっかくなので、ちょっと私なりに考察してみようと思います。
病と借金、そして「美しい」と感じる心の喪失
『檸檬』の主人公は、実は肺尖カタルという病気を患っていることが、最初の段落に書かれています。また同じ段落で、彼は「背を焼くような借金」があるとも述べています。
これらのことが憂鬱な気分の直接的な原因ではないと、主人公は断言しています。
しかし、筆者としてはやっぱり、これらの事情も彼の憂鬱に関わっているのではないかと思います。
現代に生きる我々も、進学や就職、転職などで環境が大きく変わると、たとえ新しい環境が嫌いでなくても、無意識にストレスを感じてしまうものです。
それが大きな病気や、多額の借金となれば、ストレスの溜まり方は相当なものでしょう。
むしろ主人公のように「病気や借金のことよりも、美しいものを美しいと感じられなくなったことの方が大問題だ」と言い切れる人って、すごく珍しいんじゃないでしょうか。
主人公はある意味メンタルが強いのか・・・・・・
それとも生粋の詩人気質なのかもしれませんね。
作者自身の経験が投影された人物像
主人公が患っている肺尖カタルは、作者の梶井氏も苦しめられた病気です。
それに彼は学生時代、放蕩の末に借金を作り、友人の下宿を転々としながら暮らしていた時期があったようです。
つまり『檸檬』の主人公には、梶井氏自身が感じていた苦しみが、かなりの忠実に投影されていると思われます。
もしそうなら、主人公が病気や借金よりも、美的感情の喪失を嘆いたことにも少し納得がいきますね。梶井氏は、詩のように美的な文章をたくさん残した人ですから。
推しポイント2:果物関連の描写が神すぎる
推しポイント2つ目は、果物の美しさやみずみずしさが、非常にいきいきと表現されていることです。
例えば、夜の果物屋の外観について「店の周囲が暗いので、明かりに照らされた果物たちが際立って見えた」と主人公が述べるシーンがあるのですが、梶井氏はこのシーンに500文字も使っています。
その内容もすごく素敵で、暗闇の中に輝かしく浮かび上がる果物屋さんの様子が、ビシバシ伝わってくる描写になっていました。
また、後日、主人公が同じ店で購入した檸檬を描写した表現も圧巻です。
色や形はもちろん、爽やかな香りや冷たい感触までもが、主人公の行動を通して魅力的に描かれています。
味覚以外の全ての感覚に訴えかける、パワフルな文章でした。
プチ考察②:逆説的な本当とは?
物語中盤で、主人公が果物屋さんで檸檬を買った瞬間、彼の心には嬉しい気持ちが溢れてきて、抱えていた憂鬱が吹き飛んでしまいました。彼はこのときの様子を、こんなふうに述べています。
あんなに執拗しつこかった憂鬱が、そんなものの一顆いっかで紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった
・・・・・・ちょっと難解な文章ですよね。
理解しやすくするために、文章を前半と後半に分けて考えてみたいと思います。
前半部分:憂鬱と檸檬の対比
「あんなにしつこかった憂鬱」というのは、序盤から主人公を悩ませていた憂鬱で無気力な心境。
「そんなもの」というのは、自分が買った檸檬のことを指しています。
つまり前半部分は、「さっきまであんなに憂鬱だったのに、たかが檸檬1つでこんなにポジティブになれるのか」と、主人公自身も、自分の変化にびっくりしている様子を表しています。
後半部分:不審と逆説
小難しい単語が並んでいる後半部分ですが、私はこれを以下のように解釈しました。
まず「不審」という表現は、主人公がレモン1つでなぜこんなにハッピーになれるのか、不思議に思う気持ちを表していると思われます。
「たかが檸檬に、憂鬱を吹き飛ばすほどの凄い力が、本当に存在しているのか?」と、不審に感じているのですね。
しかし主人公にとっては、自分がどうしてこんなにハッピーなのか不思議で仕方がないこと自体が、逆にレモンのハッピーパワーが本物であることを証明していることになるのです。
なぜなら、主人公はずっと不吉な塊に苛まれており、憂鬱で、無気力で、何にも興味が持てない状態が続いていたからです。
「檸檬ごときに憂鬱を吹き飛ばす力があるのか」と疑っているのに、疑いを向けるという行為こそが、すでに自分が無気力状態を脱していることを示している。
このことを、主人公は「逆説的」と言っているのではないでしょうか。
他にも様々な解釈があり得ると思うので、皆さんもぜひ、自分なりの解釈を見つけてみてください!
推しポイント3:檸檬爆弾、炸裂! 読み手まで笑顔になれるエンディング
最後の推しポイントは、やはりラストシーンです。
檸檬を手に入れてハッピーな気持ちになった主人公は、日頃は避けていた丸善という本屋にやってきます。主人公は気になった画集を何冊も持ってきて、ページをめくってみます。
しかし、どの絵も全く興味をそそりませんでした。
それどころか逆に、檸檬のおかげで静まっていた憂鬱まで、ぶり返してきます。
そのとき、彼はとあるアイデアを思い付きました。
「様々な色彩の本を積み重ねて、その上にさっきの檸檬を置く。
そしてそのまま、店を出る」
丸善の店員にとっては迷惑極まりない話ですが、主人公にとっては愉快なイタズラです。
彼はくすぐったいようなワクワク感を抱きながら、本の上に檸檬を載せます。
私はこのシーンが大好きです。
なぜなら主人公の明るい気持ちが、行動やセリフの至るところから溢れるように伝わってくるからです。
序盤であれほど憂鬱で無感動だった主人公が、子供みたいにドキドキしながら、お気に入りの檸檬でイタズラを仕掛けている。
なんかエモいじゃないですか!(語彙力)
しかも、推しポイント1で主人公の憂鬱にさんざん共感したあとですから、彼が笑顔になれたことが、まるで自分のことのように嬉しく感じられます。
主人公のささやかな幸せが、読み手までも幸せにする、素敵なシーンだと思いました!
プチ考察③:丸善を避けていた理由
丸善とは、京都三条に実際にあった本屋で、文具売り場やカフェなど、書籍以外も充実していました。
実は主人公は昔、丸善を気に入っていたのですが、憂鬱感に悩まされるようになってからは、避けるようになってしまいまいした。
どうして彼は、丸善を避けたのか?
この理由を、自分なりに考察してみました。
ズバリ核心を言うと、主人公は丸善を「苦労の絶えない日常の象徴」と捉えていたのではないでしょうか。
根拠として考えているのは、以下の1文。
書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
プチ考察①で述べたとおり、主人公はこのとき借金に苦しめられています。
一方、丸善はオシャレなカフェまで併設された、ちょっと贅沢な空間です。
ただでさえお金に苦労している主人公が丸善に入ろうものなら「こんな贅沢をしている場合なのだろうか」と、余計に借金のことが頭から離れなくなってしまうのではないでしょうか。
いつしか主人公の中で、丸善は「ちょっと贅沢できる場所」から「行くたびに日々の苦労を強く思い出してしまう場所」に変わってしまったのかもしれません。
そう考えると、ちょっぴり切ないですね。
プチ考察④:檸檬爆弾を仕掛けた理由は?
主人公はラストシーンで、檸檬を置いたまま本当に丸善を出ます。そして自分が置いた檸檬がまるで爆弾のように爆発して、丸善を木っ端微塵にする様子を想像し、胸を躍らせるのです。
上機嫌で店を去っていく主人公が印象的なこのシーン。
しかし、読んでいたこんな疑問を感じた方もいらっしゃるはずです。
なぜ主人公は、檸檬が爆発する想像にこれほどワクワクしているのか?
その理由について、私なりに考えてみました。
私が思うに主人公は、もし丸善で檸檬が爆発すれば「息の詰まるような日常が、もろとも吹き飛ぶ」と期待していたのだと思います。
なぜなら主人公にとって、檸檬は「手にしただけで憂鬱な気分を打ち消してくれる」魔法のようなアイテム。
そして丸善は(プチ考察③で予測したとおりなら)「苦労の絶えない日常の象徴」です。
もしそんな丸善を、檸檬の爆発で木っ端微塵にすることができたなら ——
つまり苦労の絶えない日常を、憂鬱を吹き飛ばす強力な魔法で、ぶち壊すことができたなら。
きっと彼の生活は、今までよりも愉快になるに違いない。
主人公は、そんな夢のような妄想を楽しんでいたのではないでしょうか。
それこそが、主人公が檸檬爆弾を仕掛けた理由だと感じました。
プチ考察⑤:結局、何が言いたかったの?
本屋に檸檬を置いて出るという、一風変わったエンドを迎えるこの小説。
「結局、作者は何を伝えたかったの?」と感じる人もいらっしゃるでしょう。
私は梶井氏がこの小説を書いたのには、2つの理由があると考察しています。
1つ目は「自分の体験を誰かに共有したかった」という理由。
2つ目は「自分と同じように苦しんでいる誰かに、少しでも笑顔になってほしい」という理由です。
理由1:自分の体験を誰かに共有したかった
まず1つ目の理由ですが、これは梶井氏の送っていた人生が関係しています。
プチ考察①で述べたように、梶井氏は肺尖カタルという病気にかかったことがあり、さらには借金を理由に友達の下宿を転々としていた時期もあります。
つまり『檸檬』の主人公と梶井氏は、境遇がすごく似ているのです。
梶井氏は自分の経験を主人公に投影し、それを読んでもらうことで、自身の苦しみを読者と共有したかったのではないかと思います。
(友達や家族に「ねえ聞いてよ〜今日こんなことあったんだけど・・・」と愚痴るやつのメガ進化系ですね笑)
しかし、ただ感じたことを共有するだけなら、本当に近しい人に愚痴るだけで足りたと思います。
わざわざ小説にしたということは、きっと愚痴以上の動機があったに違いありません。
それが理由2につながります。
理由2:悩みを持つ読者に、笑顔を届けたい
梶井氏は小説中で、自身の苦しみを吹き飛ばすヒントを書き残しました。
主人公はたった1つの檸檬で、笑顔を取り戻すことができました。
この作品は、主人公と同じような境遇の人 ——つまり自分の日常になんとなく不満を持っているけれど、それを解消できずに悩んでいる人—— に「日常の些細なところに幸せを感じるヒントがあるんだよ」ということを教えてくれているんじゃないでしょうか。
考察すればするほど、いいお話ですね ♡/(ღˇ◡ˇ*)♡
・・・・・・と、長々と語りましたが、最後に1つ。
私は必ずしも全ての小説に「伝えたいこと」があるとは限らないし、また読者側も作者の「伝えたいこと」を必ずしも理解する必要はないと思っています。
文章を読んでみて、なんとなく「これ好き!」って思ったり、なんとなく「勉強になったな」って感じたりすること。
これこそが読書の本質なのだと思います。
だからきっと、1つの小説から感じることは読み手によって変わるし、そこに正解なんてないのです。
「作者が何を伝えたいのか」を考えることも、もちろん読書の楽しみの1つですが、「それを読んで自分が何を感じたのか」に目を向けることも、小説を楽しむコツなんじゃないかなと思いました。
まとめ
本記事では、梶井基次郎の『檸檬』のあらすじと感想・考察を書かせていただきました。
この記事を通して、少しでも『檸檬』や彼の作品に興味を持ってくれる人がいらっしゃれば幸いです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
改めまして、作品URLはこちら↓(青空文庫のページに飛びます)
おまけ:『檸檬』が好きな人にオススメの作品
このコーナーでは、world is aozoraの独断と偏見で、『檸檬』が好きな人が気に入りそうな作品を推薦します。
次に読む本に困っているそこのあなた!
騙されたと思って読んでみてください。
オススメ1:城のある町にて | 梶井基次郎
『檸檬』の作者が執筆した別作品のご紹介です。
妹に先立たれた主人公が、城跡のあるのどかな町で心を癒していくという物語で、『檸檬』に負けず劣らずの名作です。
城跡から見た街の風景描写や、随所に出てくる詩的な比喩表現が美しくて、読む人によっては絵画を鑑賞している気分になるかもしれませんね。
梶井氏の書く文章の雰囲気が好き、という方には絶対に読んでほしい作品です。
オススメ2:こころ | 夏目漱石
夏目漱石が残した名作の1つである『こころ』。
こちらも、高校2年の現代文の教科書に掲載されている有名作品です。
ストーリーは、主人公が「先生」と呼んで慕う人物の謎めいた過去を知っていくというもの。
なかなか明かされない全貌を追って、ページをめくる手が止まらなくなりますよ。
梶井氏も夏目漱石のファンだったと言われているので、もしかしたら生前、この作品を読んだことがあったかもしれませんね。